新しいシンボル「東京スカイツリー」
東京タワーは東京のシンボルとされていました。
時代の流れで、新しい電波塔が必要とされるようになりました。
それは、「アナログ放送」から「デジタル放送」へと移行する事になったからです。
当初は、データ放送には新しい電波塔建設には賛否両論ありました。
東京には、新しく建設するにも土地などの問題が大きく関係していたからではないかと思います。
そんな中、建設を請け負うことになったある企業は土地の誘致において近代化した東京の街を選ばず、下町情緒ある「墨田区」を選んだのでした。
墨田区は、下町として有名ですがあまり大きな高層ビルというのがないことも決め手になったと言われてはいます。
しかし、東京タワーのようにあれだけ大きなものをつくるにはそこに住んでいる人たちの理解も必要不可欠な事です。
「東京スカイツリー」ができたことにより墨田区は一気に観光スポットとなりました。
東京タワーに新しいシンボルは多くの人を魅了する事となります。
この東京スカイツリーを造った人達はとてつもない事をやっていたのだと思いますね。
「世界一の電波塔」、東京スカイツリーのすごさを知ってみたいと思います。
スカイツリーの作り方
634メートルもある東京スカイツリー。あれだけの高さの建造物はどのようにつくられたか知っていますか?今回は少しだけそのつくり方について教えちゃいます。
まず、最初は634メートルの建造物を支える杭をつくるところから始まりました。634メートルの高さに高さに対して足元の幅が70メートルしかないスカイツリーが傾いたり沈んだりしないのは、この杭が地中深くまで打ち込まれているからなんです。この杭は地震や風などの力にも強力に対抗します。
次に作られたのは、スカイツリーの足元の部分。出発ロビーや商業施設などの周辺低層棟、機械室や駐車場など地下階の部分です。この部分がないと、観光名所にしては寂しいただの電波塔になってしまいますね。
足元の部分を作った後、スカイツリーの鉄骨が積み上げられました。地上500メートルまではクライミング式タワークレーンを使って積層工法でつくられ、その後デジタル放送用アンテナを取り付ける鉄塔が設置されました。この鉄塔部分は500メートルを越える未知の高さなので、安全や品質などさまざまな課題があったことでしょう。
続いて、並行して中心部の空洞には鉄筋コンクリート造の心柱が作られました。この心柱は第一展望台の上まで貫かれていて、これがスカイツリーの揺れを軽減する機能を持っています。
ここまでつくられると、もうほとんどできたようなものです。いかがでしたか?ざっくりとした説明だったので、わかりにくいかもしれませんが、スカイツリーは最新の工法でつくられ安心安全なタワーだということはここでハッキリと言っておきます。
日本のシンボルの1つとなった東京スカイツリー。地方に住んでいる方も、人生で一度は行ってみたいものですね。
新しいシンボル
東京スカイツリーと聞けばもう誰もが知っている東京の観光スポットの一つですよね。この東京スカイツリーは東京タワーの仕事を引き継いるのと同時に、東京タワーがシンボルだったように東京スカイツリーが新しいシンボルになるのです。
無謀な高さ・計画
東京スカイツリーを建設するときに、どれくらいの大きさにして、完成までの期間はなど建設計画がかなりねられていたと思います。しかし、なぜあそこまで高くする必要があったのだろうと思ってしまうのではないでしょうか。
どう作る?
デザインがより優れていて斬新でも、建造物として実現できなくてはいけません。しかも、墨田区は下町といっても東京です。土地が豊富にあるわけではありませんので、東京スカイツリーをどう造っていくのかというのは、一番に考えないといけない事にはなります。
誰も知らない高さへ
東京スカイツリーの建設中は、よくテレビで現在の高さは何メートルです。と言われていましたね。東京タワーの高さまではそこまででもなかったテレビも東京タワーの333mを越えた頃からテレビ局も熱が入ったように感じました。
天空の頂き
前人未到の高さ「634m」へ行くともうそこは別世界ではないかと思えてしまいます。日本で一番高い建造物はまさに「天空へのいただき」ではないのではないでしょうか。だからかもしれませんが、「天望デッキ」と名付けられた展望回廊があるのだと思います。